越前焼について
ページトップへ
越前窯
越前古窯

 福井県における薪窯の歴史は須恵器の生産が始まる6世紀まで遡る。須恵器はそれまでの土師器や埴輪とは異なり、穴窯を用いて高温で還元焼成することが特徴である。須恵器は福井県内でも盛んに生産されており、現在の越前町を中心に丹生窯跡群が8世紀から10世紀まで操業し、61基の窯が発見されている。

越前焼1越前焼2

 日本六古窯の一つとして知られている越前窯は須恵器の丹生窯跡群と同じく越前町内をを中心に12世紀後半に生産が始まった。越前窯は愛知県の常滑窯の技術を導入して成立し、主に壺や甕・すり鉢を生産した。200基以上の窯跡が発見されている、そのほとんどが穴窯である。窯の長さは12世紀後半の上長佐5号窯では14メートル程度であったが、16世紀後半の岳の谷1号窯では24メートルにまで達する巨大な窯となった。この16世紀に越前窯は最盛期を迎え、その製品は北海道から島根まで日本海側の各地を始め、福島県に至るまで広く流通し、生活必需品として用いられた。古越前の特徴は赤褐色の器肌と、そこに掛かる濃緑色の自然釉である。写真の壺は窯の中で倒れたのか、自然釉が斜めに流れ、下か上に向かっている。この自然釉は薪窯での焼成時に薪の灰が製品の上に降りかかり、高温でガラス状になったものである。この自然釉は薪窯でしか得られない。電気窯やガス窯にはない薪窯だけの面白みである。